宮沢賢治の「雨ニモマケズ」という「詩」は学校の教科書にも載っているので、すごい「詩」であることは認めるけど、自分のことにあてはめると、何か違う。
私利私欲を捨てて、人を思いやる精神は素晴らしいものです。
この詩のモデルは斉藤宗次郎というクリスチャン。どんな迫害にあっても「人のために」という精神に徹した「生き方」に憧れを抱いて、この詩を残したと言われています。
でも、「こういう人に私もなりたい」のかというと、私の場合、少し違います。
< 「雨ニモマケズ」の現代語訳 >
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫な体をもち
慾は無く
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きしわかり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行って怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろと言い
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしは
なりたい
< 私流の「雨ニモマケズ >
「今日」という日を大切にしよう、未来のことは考えずに。
「明日から・・・」は禁句にして毎日、毎日を一歩ずつ進もう。
未来のことは神様にまかせよう。
もし明日が来たら、その時は今日と同じ日にならないように努めよう。
「今」ある問題はどうしたら解決できるのか
先延ばしにするのはやめよう。
具体的なことは思いつかないけど、人が喜ぶことは、勇気をだしてやってみよう、
と、思うだけでもいい。
そういう人に私はなりたい。
いずれにしろ、「こういう人に私はなりたい」と思うだけで、なれない自分がいるのは、宮沢賢治も私も同じです。