「チキン・スープ」は子供が風邪を引いたり、お腹が痛かったりするときに、お母さんが作ってくれる「スープ」のことです。日本では「おかゆ」に相当するものだと思います。「心のチキン・スープ」というのは文字通り、心が病んだときに癒やしてくれるような本のことです。この本の中にはたくさんのエピソードがあり、一つ一つが私達に感動を与えてくれます。現在ではすでに何冊も出版されていますが、ここでは初期の頃の「心のチキン・スープ」からいくつかのエピソードを紹介します。最後までお付き合いください。

マザー・テレサの言葉

Spread love everywhere you go:
あなたの行くところで、愛を広めなさい。

First of all in your own house.
最初はあなたの家族で。

Give love to your children,
子どもたちに愛を与えなさい。

to your wife or husband,
妻や夫に愛を与えなさい。

to a next-door neighbor....
隣の人に愛を与えなさい・・・・

Let no one ever come to you without leaving better and happier.
誰かが訪れてきたら、来たときよりも幸せにして帰しなさい。

Be the living expression of God's kindness:
あなたは神の優しさの表現者になりなさい。

kindness in your face,
あなたの顔に優しさを、

kindness in your eyes,
あなたの目に優しさを、

kindness in your smile,
あなたの微笑みに優しさを、

kindness in your warm greeting.
あなたの暖かい挨拶の中に優しさを表しなさい。

Mother Teresa

がっかりしてるって?

As I was driving home from work one day, I stopped to watch a local Little League baseball game that was being played in a park near my home.
ある日のこと、私が仕事から車で帰っていると、家の近くの公園で地方のリトルリーグの野球の試合があっていましたので、車を止めて観戦することにしました。

As I sat down behind the bench on the first-baseline, I asked one of the boys what the score was.
1塁側のベンチの後ろに座り、少年の一人にスコアを尋ねました。

"We're behind 14 to nothing," he answered with a smile.
「14対0で負けてる。」彼は笑って答えました。

"Really," I said. "I have to say you don't look very discouraged."
「ほんとに?負けてるのに、君はあまりがっかりしてるようには見えないね。」

"Discouraged?" the boy asked with a puzzled look on his face.
「がっかりしてるって?」少年はどうして、といった様子で尋ねました。

"Why should we be discouraged? We haven't been up to bat yet."
「どうしてがっかりしなくちゃいけないの?まだ1度もバッターが回ってきていないんだよ。」

Jack Canfield

世の中のすべてのことは、見方によっては、落胆にも希望にもなります。
つまり、「落胆」と「希望」は考え方の違いであって、実は「同じもの」なのです。

このエピソードは、何でもプラスに考えることで、「落胆」を「希望」に変えることができることを教えてくれています。

ヒロシ
ボクは、この話、好きだな。

無料

息子が母親のところに来て、1枚の紙きれを渡しました。
母親は手を拭いて、それを読みました。

芝刈り・・・5ドル
今週いっぱい自分の部屋の掃除・・・1ドル        
店にお使い・・・50セント
弟の子守り・・・25セント
ゴミ出し・・・1ドル
いい成績を取る・・・5ドル
庭の掃除・・・2ドル
全部で、14ドル75セント

母親は、期待してそこに立っている息子を見て、
ペンを取り出して、その紙の裏に書きました。

あなたがお腹にいる間、あなたを運んでいた9ヶ月・・・無料
あなたの側に座って、看護をし、祈った時間・・・無料
これまであなたが原因で流した涙・・・無料
恐ろしさでいっぱいだった夜とその先にある不安・・・無料
おもちゃ、食べ物、服、あなたの鼻をかんであげた・・・無料
それを全部たして、本当の愛にかかった費用・・・無料

息子がお母さんが書いたものを読み終えたとき、
彼の目に大粒の涙があふれました。

彼はお母さんをしっかりと見て、「お母さん、本当に愛してる。」と言いました。

それから彼はペンを取り、大文字で「十分払ってもらった。」と書きました。

「目に見えるもの」と「目に見えないもの」、それは「お金」と「愛」。

あなたにとって、どちらが大切ですか?

2ニッケルと5ペニー

アイスクリーム・サンデーがまだ高かったころのお話です。

一人の少年が店に入り席に着きました。
ウェイトレスが彼の前に水の入ったグラスを置きました。

「アイスクリーム・サンデーはいくら?」
「50セントよ。」ウェイトレスは答えました。

少年はポケットから手を出して、コインの数を調べました。

「普通のアイスクリームはいくら?」

何人かの人がテーブルを待ち始めていたので、ウェイトレスはいらいらして、
「35セントよ。」と、ぶっきらぼうに答えました。

少年は、再びコインを数えて、

「普通のアイスクリームをください。」と、言いました。

ウェイトレスはアイスクリームを運んできました。

少年は食べ終わり、会計を済ませて、帰って行きました。

ウェイトレスが戻ると、彼女が見たものに息を飲みました。
そこには、空の皿の横に、2ニッケルと5ペニーが、チップとして置いてあったのです。

わかりにくい「お話」なので、少し、解説します。
ニッケルは5セント硬貨、ペニーはセントの別称です。タイトルの「2ニッケルと5ペニー」は5セント2枚と1セント5枚、つまり『15セント』のことです。

サービス業で働く人の「時給」は低く設定してあるので、「チップ」は生活を成り立たせるための大きな収入です。

チップ」は10%から20%が一般的ですが、
この少年は何と40%以上の「チップ」を置いていったことになります。

二人の修道士

巡礼中の2人の修道士が川の渡場にさしかかると、そこに美しい服を身に付けた女の人がいました。

明らかにどうしたらよいか分からない様子です。
水かさが増して、服をだいなしにしたくありません。

ためらわずに修道士の1人が彼女を背中に担ぎ、川を渡り、向こう岸で彼女を下ろしました。
それから2人の修道士は歩き続けました。

しかし、1時間後、もう1人の修道士が不平を言い始めました。

「女性に触れることは正しい行いではない。女性と身近に接触するのは戒律に反することだ。修道士としてどうして規則を破ることをしたのですか?」

 

女性を運んだ修道士は何も言わずあるき続けましたが、最後にこう言いました。

「私は1時間前に川岸で彼女を下ろしました。なぜあなたは今でも彼女を運び続けているのですか?

Irmgard Schloegl
The Wisdom of Zen Masters

修道士というのは、修道誓願を立て禁欲的な信仰生活をする男性のことである。」と言われています。(ウィキペディアより)

修道士」になるためには、一定の「見習い期間」を経て、「修道誓願」を立てるそうです。この「二人の修道士」の物語は、「見習い期間」と「誓いを立てた後」の修道士の違いを表現しているように思われますが、いかがでしょうか。

それとも、二人とも立派に「修道誓願」を立てているのに、このような二人のタイプがいるよ、と教えてくれているのでしょうか?

サマセット・モームの「雨」のような短編小説をみてもわかるように、小説になりやすいのは、断然後者の方です

 

http://daily.aadacoda.com/2020/09/21/chicken-soup-for-the-soul-2/

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