「重要」という言葉を、私は自分なりに解釈しています。
「物事の大事な要の部分を重んずること」という基本的な意味は変わりません。
私は、「重要」という言葉を、その意味に加えて、こんなふうに考えています。
(自分勝手な思い込みですが・・・)
「重い」という表現があれば、当然、「軽い」も存在します。
目の前に起こる全ての「事象」に、「重い」と「軽い」があるように、
人の「考え方」や「言動」にも、「重い」と「軽い」があります。
「重い」と「軽い」の間には「バランス」というものがあります。
「重い」だけ、「軽い」だけでは「バランス」はありません。
「バランス」というのは、「重さ」のなかに、「軽さ」があり、「軽さ」のなかに、「重さ」がある状態だと考えています。
うまく言い表せないけど、
最近「姉ちゃんの恋人」というドラマが好きで、毎週見ています。
ストーリーは結構「重い」のに、「軽妙」は会話で、ものすごく「バランス」のとれたドラマだと感心しています。
よく、ギターを弾きますが、
「楽譜」通りに、音の長さも機械的に弾いても、それは「軽い」だけなんですよね。
まるで、「MIDI」に打ち込んで、「コンピューター」に弾いてもらったような感じです。
でも、実際、自分でギターを弾くと、「強弱」「間」とかを考慮して弾くので、何かが違って聞こえます。
ただの「おたまじゃくし」の並びに、「重々しさ」を加わえて弾いている感じかな?
「茶道」に例えると、素人と達人の違いは、「軽い」道具の取り扱い方で、ある程度わかるような気がします。
「軽い」からといって、「軽々しく」動作をすれば、ただただ「軽い」だけです。
「軽い」道具を「重々しく」取り扱ってこそ「バランス」が生まれるのではないでしょうか。
「重要」というのは、いろいろある中の「1つ」だけが他と比較して「大切」だから、それだけに「目を向ける」ということではなく、
他の「軽い」部分との「バランス」が取れているかどうかを見ることだと、最近思うようになりました。