私は半世紀以上生きてきました。

ここ何年かで「スマホ」が登場したり、「インターネット」が普及したり、して、ますます「生活」が便利になっていますが、不思議と「何とも思わない」というのが感想です。

私の「脳」が退化してしまったのでしょうか。

人類は長いことかかって、「火」を作り出したり、狩りの「道具」を産み出したり、「作物」を栽培するようになり、文明の歴史を次々と塗り替えてきました。

私の時代は、当たり前に、「電車」も「バス」も「他の乗り物」もあって、

「ラジオ」はもちろん、「テレビ」もあったように記憶しています。それが当たり前だったのです。

 

でも、「カラーテレビ」はありませんでした。

「カラーテレビ」の登場する前は、「スクリーン」の前に「3色のパネル」のようなものを取り付けて「カラーテレビ」の雰囲気を味わっていました。

 

バスに「アポロ」というのがついていました。方向指示器です。

車掌さん」というのもいました。独特の「口上」で「次は~、次は~○○」とか言って、「切符」を切る仕事です。

バスが左に曲がるとき、「左側のアポロ」を手動で出すのも車掌さんの仕事でした。
(右側のアポロは運転手さんが出します、)

それも、いつの間にか「ウィンカー」に替わりました。

 

就職したら、必要品として、「ガリ版」を渡されました。

「やすり板」の上に、「ろう紙」を置き、「鉄筆」で文字を書いて、「印刷機」かけて「印刷物」を作ります。

1年も使ったでしょうか、「タイプライター」で文字を打つようになり、「手書きのガリ版」はなくなりました。

その後、すぐに「ワープロ」が出てきて、いつのまにやら、「ファックス」付きの印刷機に替わりました。

私にとっては「印刷革命」です

 

「ワープロ」が普及しだした頃、田舎の学校でしたから、「このワープロ、漢字に変換でけん。」とか言う先輩がいました。
話しを聞いてみると、「みそしゅう」と打っても、「味噌汁」が出てこないのだそうです。
彼の住む世界では、「みそしゅー」とか「みそしゅる」が標準語だったのでしょう。

 

車好きな先輩が、新しく「オートマティック車」に買い替えたと自慢していました。
まわりは、「それって、身障者用の車ですよ。」と、からかっていましたが、「オートマティック車」もあっと言う間に普及しましたね。

 

パソコン」の値段は、出始めの頃は60万円以上しました。「プリンター」が40万。セットで100万。
「MS-DOS」で「プログラム」を打ち込んで、「プリンター」に打ち込んだ「コード」印刷して、「バグ」を訂正して、まともに動くまでの「道のり」の長いこと・・・
本を真似て、一生懸命「プログラム」を打ち込んだおかげで、入試の事後処理がとても楽になりました。

 

携帯電話の1つ前に、「車で使える電話」というものがあったのを覚えていますか?

かなり、大掛かりなもので、運転席の左側に据えるものでしたが、これも「短命」でした。

そのあと、すぐに「携帯電話」が登場しましたから。

高い値段で「車の電話」を買った人は悔しがったでしょうね。

 

「昭和」の時代に様々な文明の革新を体験したしたおかげで、「平成」「令和」の科学の発達を何とも思わなくなってしまった「自分」がいることに気づきます。

この先、「自動運転」や「空飛ぶ車」ができても、私の「脳」は退化して、「あ、そうの?」くらいの反応しか示さないでしょう。

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