よく久留米の街中を散歩しましたね。覚えていますか?
散歩しながら、「手をつないで」いました。
いつもキミのほうからボクの手をとって、ボクは少し恥ずかしかったから、手を振り払うようなしぐさをしたけど、キミははずれないようにしっかり握り返してきました。
振り払うようなことをして、ごめんなさい。
内心は、とても暖かくて、幸せな気持ちでいっぱいだったんですよ。
手をつないで歩くカップルがいる
街中を歩いていると、よく学生が手をつないでいるのを見かけます。「お互いに好きなんだなあ」とか、「付き合っているのをみんなに公表したいのかな?」と思ったりもします。
でも、お年寄りが手をつないで歩いているのを見ると、ちょっと違った感情がわいてきます。なんだか「ほっとする」のです。暖かい気持ちになります。
西洋では、「ハグする」、「軽くキスする」といった行為は単なる「あいさつ」であって、日常的に何の抵抗もなく受け入れられています。
特に意味なんかないんです。あくまでただの「あいさつ」です。
でも、「手をつなぐ」というのは、「あいさつ」ではありません。「あいさつ」で手をつなぐのは「握手」です。
ボクの場合、日本がいくら西洋化が進んでいるといっても、「手をつなぐ」という行為は何か特別のことだと思ってしまうのですよ。
「握手」や「ハグ」や「軽いキス」は、その場かぎりの「あいさつ」だとボクにも理解できます。
きっと西洋人も、ボクと同じ考えではないのかな?
ビートルズの歌から学んだこと
ビートルズの「I want to hold your hand(抱きしめたい)」という曲を知っていますか?
この曲の内容は、何か大切なことを打ち明けるときに(きっと「愛の告白」だと思うけど)、「君の手を取って伝えたい」と言っているでしょう?
決して、「抱きしめたい」ではありません。「抱きしめたい」では不自然です。
「愛の告白」は、しっかりと相手の手をとって伝えたい、という歌ですから・・・
もう一つ、ビートルズの「If I Fell(恋におちたら)」という歌詞に、
I found that love was more than just holding hands.「愛は単に手をつなぐ以上のものだということがわかった。」
と、ジョンが言っています。
「愛」というのは、「手をつなぐ」ことから始まって行くものだよ、ということでしょうか。
男女に限らず、「手をつなぐ」という行為に、これから先「共に苦難を乗り越えていく」覚悟のようなものを感じます。
今では「手をつなぐ」ことこそが「愛」そのものではないかと思うようになりました。
また一緒に手をつないでお散歩しよう
散歩のとき、いつもキミが「手をつないで」くれたおかげだと思います。
「愛」という言葉を出すと、ちょっと照れ臭いけど、
「暖かい状態」、「安らげる状態」、「安心できる状態」、「笑顔になれる状態」
「手をつなぐ」って、こういうことではないかしら?
大げさだけど、世界中のみんなが「手をつなげば」、きっと平和も訪れるかもしれないよ。
今度お散歩するとき、また手をつなごうね。
(ボクも大人になったでしょう?)