学校で、「端末」の普及が加速している

生徒全員に「タブレット端末」を配布して、授業中の「黒板」の代わりに使ったり、生徒一人ひとりがどの程度「理解」しているのかも把握できるらしい。

あるいは、各授業で、「ドリル」を解いたり、社会や理科で調べものに使ったり、「宿題」も「オンライン」で提出できる。

「AIの音声システム」が端末に入っていれば、英語の発音も、正しく文字に変換されるかどうかで、あってるか、あってないかがわかる。

 

しかし、今の子供たちは「スマートフォン」を誰でも持っているし、暇さえあれば「スマートフォン」をいじっていますよね。

視力にも影響があるだろうし。

その上、授業で「タブレット」を見続けるというのは、どうでしょうか。

今のように、「コロナ・ウイルス」の流行で、子どもたちを「家庭」に留めておく場合は、仕方ないでしょうが・・・

このまま度が過ぎて、「教科書」までも「デジタル」化して、学校に持っていくのは「タブレット」だけになるかもしれませんね。

 

おそらく、これには「学校の先生」も大反対するのではないでしょうか。

 

私も反対です。

私の場合は単に、「紙の手触り」が好きだから、そう言っているだけなのですが・・・

「紙」というのは人類のすごい発明品だと思います。

「教科書」に使われているものは、「上等の紙」であることがすぐに分かります。

ページを開いてもめくれることもないし、手荒く使ったり、折り目をつけても痛むことはありません。

裏のページのカラー写真も、文字も、透けて見えることもない、一番いい紙だと思います。

第一、「勉強」というものは、「教科書」を黙読し、何度も読み返し、頭の中で「理解」することが必要なのに、「デジタル」の便利な面だけ考慮して安易に「学校」に導入するというのは危険な考え方のような気がします。

 

「紙」の話しに戻りますが、

 

新聞に使われている紙、雑誌の紙、それぞれ味わいのある「手触り」があります。

この「手触り」感をなくしてはいけません。

実は私も、「Kindle」の端末を購入して、「デジタル本」をダウンロードしたこともあります。

最初は便利だなと思っていたのですが、そのうち違和感を覚えて、今では机の引き出しに眠っています。

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